2019年2月1日 | 健康のこと -Health-
「人生100年時代」をもたらした背景にはさまざまな要因が考えられますが、その一つに挙げられるのが「医学の進歩」です。かつては治療が困難だったり、膨大な数の死者を出すなどして「不治の病」とおそれられた病気も、現在ではその多くに治療法が確立されています。
人類に猛威をふるった病は、どのような発見や医療技術の確立により根絶、あるいは不治ではなくなったのでしょうか?医学の歴史において特にインパクトが大きかった出来事について、医学史を専門とする慶應義塾大学経済学部教授・鈴木晃仁氏に伺いました。
現在における医療の革新。その礎は、「医学の黄金時代」と呼ばれた1870年代以降に築かれたと鈴木教授は言います。
「ロベルト・コッホやルイ・パストゥールらの研究により、『外部から侵入した病原体が疾病を起こす』という新しい病気のモデルが確立されました。これにより、結核、コレラ、ペストといった重要な病気の病原体が次々に発見され、それらの感染経路も理解されたのです。また、それまで不治だった感染症の治療法・予防法が発見されたのもこの時期になります。こうした“医学の黄金時代”における医科学は、地球上の全ての人に健康をもたらし、『このまま進んでいけば、未来は明るい』という展望を人々に抱かせるものでした」(鈴木教授、以下同)
鈴木教授によれば、それまでの医科学は実験動物を犠牲とする“冷血な営み”という側面が強く認識されていたといいます。それが、難病の平癒という恩恵を多くの人々にもたすことにより医科学が医療を前進させ、人類を病気から守るものとして社会に受け入れられていったようです。
たとえば、現在は根絶されている「天然痘」。かつてアジア、アフリカ、ヨーロッパの歴史上に長く存在し、患者の25~50%を死に至らしめる恐ろしい病として人類を苦しめてきました。
「日本においては、古くは戦国時代に天然痘の流行が認められます。当時は5年に1度、江戸時代に入っても30年に1度のペースで流行が起こっていたものと考えられます。江戸時代の天然痘は、子どもが必ずかかる小児病として猛威をふるい、当時の人口構造に大きな影響を及ぼす病でした」
その対処法として、最初に用いられたのは「人痘」と呼ばれるもの。患者の膿疱からとられた天然痘の物質を健康な人間にうつす予防接種で、これにより生涯にわたり免疫をもつようにことができるといいます。
「人痘はかなり古くから発見されていて、オスマントルコからイギリスにわたったのが1717年のことです。ただし、これには危険性もあり、失敗よって死に至るケースもありました。そこで、19世紀、イギリス支配下のインドにおいて、エドワード・ジェンナーが牛の体からとった牛痘を用いた予防法を開発しました。これが、とても効いたんです。ちなみに、ワクチンという言葉はラテン語の牛に由来しています」
その後、20世紀の前半には天然痘の脅威は過去のものとなり、1980年にWHOが「天然痘の地球上からの根絶」を宣言しています。
また、かつて“不治の病”と呼ばれた「結核」。経済の近代化とともに社会へ広がり、世界各地で多くの死者を出したと伝えられています。
「結核は産業革命と深く結びついています。まず、18世紀後半以降のイギリス。産業革命とともに結核が大流行し、1800年から1820年頃にかけて非常に多くの死者を出しました。大都市に人口が集中し、貧困の方を中心に感染の輪が広がっていったわけです。以降、ヨーロッパ諸国やアメリカへと広まり、また日本においても大正、昭和初期、特に第二次世界大戦真っただ中の1941年以降に凄まじい死亡率を出しています。繊維工場で働く女工が過酷な労働条件の中で結核にかかり若い命を落としたり、工場を辞めて故郷に戻り、そこで結核を広めるなど、非常に悪い状況に陥っていったのです」
転換期は1943年。結核に対する最初の抗菌薬が開発されます。
「セルマン・ワックスマンとアルバート・シャッツが『ストレプトマイシン』という薬を作り、ワックスマンはこれによりノーベル賞を受賞しています。以後、1950年代以降にはイソニアジドなどの抗結核薬と組み合わせた、より効果的な治療法が確立され、日本にも広がっていきました。それ以降、国内の結核による死亡率はがくんと下がっています」
ただし、昨今の日本において、この病の脅威が消えたわけではないと鈴木教授は指摘します。
「確かに、結核はすぐに死を招くような病気ではなくなったかもしれません。しかし、患者の数自体は未だに多く、毎年約1万8,000人が新たに発症しているんです。というのも1950年代、60年代に海外から輸入された抗菌薬によって死亡率が低下したことで、結核の患者を見つけ出して隔離する公衆衛生の根本的なシステムが成熟しなかったから。これは、今なお日本が抱える大きな課題であると考えています」
長く苦しめられた天然痘や結核による死を、医科学の力により乗り越えてきた人類。もちろん、今もなお恐るべき病気は数多く存在し、これを克服すべく世界中で研究が進められています。
「現在もヒトゲノム配列の解明をはじめとする新たな発見が続々となされるなど、実験室での医科学は大きな成果をあげ続けています」
たとえば、日本人医学者の本庶佑・京都大学特別教授は、がん細胞を攻撃する免疫細胞にブレーキをかけるたんぱく質「PD-1」を発見。この研究が画期的ながん免疫治療薬「オプジーボ」の開発に貢献しました。これにより、本庶教授が2018年にノーベル医学生理学賞を受賞したのは記憶に新しいところです。
ただ、そうした目覚ましい成果の一方で、現在の医療には大きな懸念点もあると鈴木教授。「20世紀後半から現在までの医療は、“医学の黄金時代”に人々が夢見た『このまま進めば、医療の未来は明るい』といった発展の方向へは、必ずしも進んでいない部分もあります」と指摘します。
それは、決して医学が後退しているわけではなく、先進国の社会構造や政治的変化によるものだといいます。
「かつての感染症は病原体・病気を“たたく”、すなわち抑圧型の対応でした。しかし現代では、たとえば腎不全が生じた患者への人工透析など、代替医療が公的な医療制度の中に組み込まれ、慢性疾患や障害について抑圧ではなく“共存する”医療と社会を再設計する方向へと進んでいます。さらに、少子高齢化により、医療と介護費用が先進国の財政を圧迫しているネガティブな側面もあります。こうしたことから、手放しに“医療の未来は明るい”と考える人は少数派になっています」
そこで昨今では、代替医療に頼らず健康的な老後を送るため、予防医療に努める動きも広がっています。
「“健康”と“病気”は二元論で考えられがちですが、そうではありません。その間にはグラデーションがあり、誰もがゆるやかに老い、不調をきたし、やがて疾病となり自由が失われていくわけです」
重要なのは、なるべく若いうちから“病気にならない生活習慣”を身に付けること。食生活に気を配り、適度な運動や休息をとることはもちろん、「『生きる意味』を教えてくれるような家族や友人を持つことが、何より大事だと思います」(鈴木教授)とのこと。
医学の進歩は頼もしい限り。しかし、生涯にわたり、自ら健康増進に努めることも忘れずにいたいものです。
【取材協力】
鈴木晃仁
慶應義塾大学経済学部教授。東京大学教養学科卒業。ロンドン大学ウェルカム医学史研究所、アバディーン大学トマス・リード研究所などを経て現職。専門は医学史。共訳書に『Medicine-医学を変えた70の発見』、『医学の歴史』などがある。
【参考文献】
『Medicine-医学を変えた70の発見』(医学書院)
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