2020年1月29日 | 会社経営のこと -Business-
「近代日本資本主義の父」「実業の父」とも呼ばれる渋沢栄一。その生涯で設立や経営に関わった会社は500以上にも上るとも言われます。
2021年に渋沢栄一を主人公にしたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送される予定で、さらに2024年には新札の肖像となることも決定しており、大いに注目が集まっている人物です。
ただ、何となく「数多くの事業に関わった人物」とのイメージはあっても、具体的にどのような考えをもっていたかを詳しく知る人は少ないかもしれません。
大正5年(1916年)に刊行された渋沢栄一の著作「論語と算盤」は有名ですが、それ以外にも多くの講演や談話でその考えを述べています。
その中から、渋沢の考えや人間性がよく表れており、現在の経営にも活かすことができる言葉をいくつか紹介したいと思います。
まずは、その生涯を簡単に紹介しましょう。
天保11年(1840年)、渋沢栄一は武蔵国榛沢郡血洗島村(現:埼玉県深谷市血洗島)の農家に生まれました。家業の養蚕、農業などを手伝う一方、幼い頃から論語など学問にも励みます。
攘夷思想の影響を受けた栄一は京都で一橋慶喜に仕えることになり、27歳の時、慶喜の弟である昭武に随行し、パリの万国博覧会を見学。欧州先進諸国の社会を見て帰国した栄一は、明治政府で大蔵省の官僚となり、明治6年(1873年)に退官後、民間の実業家として活動を始めます。
「道徳経済合一説」を唱え、第一国立銀行総監役、東京商法会議所(現:東京商工会議所)の会頭を務め、商工業の発展、企業の創設・育成、さらには教育や社会貢献事業、民間外交にも尽力。昭和6年(1931年)、91歳でこの世を去りました。
設立や経営に携わった企業として、東京瓦斯、東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)、東京株式取引所(現・東京証券取引所)、帝国ホテル、帝国劇場、石川島造船所(現:IHI)、秩父鉄道、京阪電気鉄道、札幌麦酒(現・サッポロホールディングス)、東洋紡績(現・東洋紡)など多数あり、そのうち約6割の会社は現在も何らかの形で存続しています。
これほど多くの企業に関わった渋沢栄一ですが、実は大蔵省を退官後、民間で銀行業に専念する意向を持っていました。ただ、当初銀行の役割はなかなか理解されず、取引を躊躇する人も多かったため、せっかく設立した第一国立銀行もその金融機能を十分に活かすことができなかったのです。
そこで、渋沢は以下のように思い立ったと述べています。
これでは事業資金を潤沢に供給して実業を発達させ、それによって国の富を増進させようと考えた当初の目論見も達成することが約束できない。
(中略)
その理解のなさを教え諭し、場合によってはその人々とも戦い、自ら新しい空気を吸った商人を作り、率先して合本組織による事業を創設し、一般大衆に模範を示さなければならないと痛切に感じ、覚悟した。それ以来、紡績会社を起こし、煉瓦会社を起こし、人造肥料会社を起こし、絹織物会社も起こすというように、全力を傾けて世の中のあらゆる事業をどんどん創始したのだった。
出典:渋沢栄一 先見と行動 時代の風を読む(国書刊行会)P269-270
このように、自ら企業運営の模範を示すと決意したからには、まず自身が会社の重役や社長とならざるをえません。
さらに、知人が創業した場合も、ぜひ何らかの役を引き受けてほしいと強く望まれることも増えていきます。渋沢の性格上、道理にかなうことであれば断ることも難しく、また、一度承諾すれば他の依頼を断ることもできなくなり、やむをえず多くの企業に名を連ねることになったのだと老年に述懐しています。(出典:渋沢栄一 先見と行動 時代の風を読む(国書刊行会)より)
それが結果として広く産業を発展させ、大きな公益を生むことにつながったのです。
周囲の理解がなかなか得られない場合、自身が率先して範を示し、打開を図らなければならないこともあります。自身の負担も大きくなりますが、率先垂範の姿勢をもって成果を出すことができれば、多くの人から理解や信頼を得られることを教えてくれます。
渋沢栄一の生涯や業績は、幼少時代から学んだ「論語」を抜きに語ることはできません。
大正5年(1916年)に著した「論語と算盤」でいわば「道徳とビジネス」の両立を説いたことはよく知られていますが、それに先立つ明治42年(1909年)、龍門社(渋沢を慕う実業家の団体)での訓言でも、以下のように述べています。
利用厚生、つまり銀行を利用してもらい人々の生活を豊かにする事業に従事するからには、どうしてもこの利用厚生が道理正しく世のためになるようにしたいものだ。(中略)その標準を定めるためには、どんなものを拠り所にすればよいのか。(中略)孔子の教えすなわち論語に従えば、必ず間違いなく事業経営ができるだろうと、このように祈念したわけである。
出典:渋沢栄一 国富論 実業と公益(国書刊行会)P165
ここでの「標準」とは「道理」や「道徳」と解釈してよいでしょう。
渋沢栄一は、現在や未来を考えるには過去から学ぶのがよいとし、2,500年前、しかも異国(中国の周代)から伝えられてきた論語は不易のものであり、現在さらには未来の「標準」になると考えたのです。このように、実業家の第一歩として始めた銀行業でも、その理念の中核には論語が据えられていたことが分かります。
渋沢が論語に道理や道徳を求めたように、事業にあたって仁義道徳と功名富貴とを別々に考えず、両立すべきものだとの言葉は時代を超えた真理だと言えるでしょう。
そんな渋沢栄一も、青年期は攘夷鎖国を唱える志士でした。開国や通商貿易にも反発していた訳ですが、西欧諸国に渡ってその先進の文化や産業に触れ、実業家に転身後は先頭に立って海外貿易を奨励するという、全く正反対の立場に変わります。
老年の渋沢は、血気盛んだった青年期について、以下の通り率直に反省を口にしています。
私の悔恨とは、青年時代に抱いた思想や目的が、老後の現在とはまったく異なったものとなり、形式的には右にすべきことを左にするようになったことは事実である。とりわけ排外論すなわち攘夷思想と海外貿易に対する誤った考えは、そのはなはだしいものだった。
渋沢栄一 国富論 実業と公益(国書刊行会)P261-262
ただ、思想的には変化があったものの、自分の根本精神が孝弟忠信の道である点は常に変わらないと自信をもって述べています。
明治の元勲も多くは当初攘夷鎖国派だったことを考えると、特段渋沢だけ批判の的になるのはフェアでないでしょう。
むしろ、見識を深めた後は率直に自分が未熟だったことを認め、真に正しい道と思い定めて一心に実業に打ち込んだ点は大いに評価されるべきものです。
渋沢栄一生家
常に国や社会全体の公益が頭にあった渋沢栄一ですが、もっと身近な例についても興味深い考えを述べています。例えば、部下への接し方について、以下の言葉を残しています。
例えば過失によって何か道具類を壊した者がいたとすれば、私はその人に対して「お前は何々の道具を壊したじゃないか」と直接的には言わない。その代わりに平素から「すべての仕事に注意を怠るな。注意を怠ると事務を忘れたり、物を壊したりするようなこともある」と言って戒めておく。
出典:渋沢栄一 先見と行動 時代の風を読む(国書刊行会)P141
部下への叱責については、相手の立場や境遇、考え方に応じて、柔軟に方法を変えた方がよいとの持論でした。過失を過失として理解させ、改めさせることが大切なので、直接的な物言いよりも、日常的な心の持ち方について教訓を与える方が自省を促すことにつながるし、より効果的だと言うのです。
確かに、壊した道具のことだけを取り上げて部下を叱責してもその場限りで終わってしまい、また別のことで失敗を繰り返すかもしれません。
上に立つ者としては目の前の事象を直ちに問題視するのではなく、日頃からの心構えの大切さを説くべきだと教えてくれる言葉です。部下の失敗に対して感情的になったり、攻撃的になったりすることなく、心に留めておきたいものです。
渋沢栄一は「事業の私益と公益は高い次元で両立する」との信念を持っており、常に大局を見失わずに国家や社会のことを考え、私心に走ることを厳しく戒める姿勢は一貫していました。
また、家中や社内の人にも思いやりをもって接し、その能力を発揮できるようにすることがよりよい社会や国家を作ることにつながるのだとも繰り返し述べています。
先に紹介した龍門社における訓示では、「自分の述べたことが主義綱領となり、100年後には論語に近いものともなるかもしれない、ぜひ尊重してほしい」と締め括っています。
その訓言が世に出てからすでに100年以上が過ぎました。企業の社会的責任がますます問われる現代の事業経営に、渋沢栄一の先見と哲学は大きな指針を示してくれているのです。
参考文献:
渋沢栄一 先見と行動 時代の風を読む(国書刊行会)
渋沢栄一 国富論 実業と公益(国書刊行会)
監修:
アクサ生命 デジタル&カスタマーエクスペリエンス部 デジタルマーケティング課
オンライン・プレゼンス・マネージャー 保栖 文博
(中小企業診断士、AFP、2級FP技能士)
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