日本史から学ぶ100年時代の事業承継 ~戦国三英傑・信長・秀吉・家康の後継者対策

#会社経営 #今できること #人生100年 #事業承継

戦国三英傑とも呼ばれる、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。

それぞれ歴史上での活躍や業績は広く知られており、現代の経営者にも人気が高い3人ですが、実はそれぞれの後継者対策についても、会社経営に大いに参考になる面があります。

今回、天下統一という大事業に挑んだ3人が後継者問題にどのように取り組んでいったのかを学び、事業承継のヒントを探っていきたいと思います。特に、先の先まで見通した家康の事業承継対策は必見です。

信長編 ― 後継者対策を順調に進めるも、「本能寺の変」で暗転

まずは、織田信長の例をみていきましょう。

信長は早くから嫡男・信忠を自らの後継者と定め、経験を積ませていきました。
天正4年(1576年、本能寺の変の6年前)には、信忠に織田家の家督を譲り、織田家にとってきわめて重要な地である尾張と美濃の支配も任せています。

偉大な父と比較されるプレッシャーは相当なものだったと思われますが、信忠は期待に応えて着実に実績を上げていきます。

特に、天正10年(1582年)の甲州征伐では総大将に任じられ、5万の軍勢を率いて、武田家を攻め滅ぼすという大きな武功を挙げました。

その中で鍵となる戦いとなったのが高遠城での攻防です。高遠城主は武田信玄の五男・仁科盛信。名将を父に持つ者同士の戦いに一層の闘志を燃やしたのか、信忠は自ら武器を持って突進し、柵を破り、塀によじ上って兵を鼓舞するという奮戦を見せます。

見事、高遠城を陥落させた後は武田側の守備網が一気に崩れたことから、まさにここが勝負どころとの判断をしたのでしょう。大将として的確な戦局の判断と勇猛さを併せ持っていたことが伺えます。

「信長公記」でも信忠の奮戦を大いに称賛し、「後継者として立派に役割を果たし、代々に伝えられるべき功績」と評しています。この時、信長自身も「天下を譲ろう」とまで言い、信忠を褒め称えました。
信長は、信忠という立派な跡取りを育て、ここまでは上々の後継者対策を行ったと言えるのではないでしょうか。

そして運命の天正10年(1582年)6月2日。信長による天下統一は目前で、天下人の座も信忠へスムーズに移譲されるはずでした。

しかし、この日発生した家臣の明智光秀の謀反(本能寺の変)により、信長だけでなく、信忠まで自害に追い込まれるという、驚天動地の事態が発生してしまいます。

信長にとって、自身と嫡男が同時に襲撃される状況を京都内に作ってしまったのはリスク管理の点で失敗でした。

実は本能寺の変発生直後、信忠が滞在していた妙覚寺は明智軍に包囲されていませんでした。したがって、十分に脱出できるチャンスがあったのですが、信忠は「光秀に手抜かりがあるはずがない」と判断してしまい、二条新御所に立て籠もった結果、自刃に至る事態となってしまいました。

父親に比べると、信忠にはギリギリまで追い込まれた状況から活路を見出すという、修羅場の数が少なかったと言えるかもしれません。

このように、本能寺の変という一大事件により、確実と思われた織田家の天下統一事業は頓挫してしまうのです。

秀吉編 ― 晩年における懸命の後継者対策も迷走のうえ失敗に

続いて、豊臣秀吉のケースをみていきましょう。

本能寺の変の後、信長の次男(信雄)、三男(信孝)が兄弟間で仲違いをしている隙をつき、秀吉は織田家の力を弱体化させる一方で、ライバルを次々に打倒していき、ついに自らが天下人の座につきます。

千載一遇のチャンスを活かし、主家である織田家を抑えて天下人となった秀吉。そんな幸運と実力の持ち主である秀吉にとっても、後継者対策は非常に難しいものでした。

子宝になかなか恵まれず、53歳の時に生まれた鶴松は夭折、待望の世継ぎである秀頼が生まれた時、自身はすでに57歳となっていました。

秀頼が生まれるまでは、豊臣家の中で数少ない成人男子であった甥の秀次を後継者にする予定でしたが、その後、秀次は謀反の嫌疑をかけられ高野山で切腹する事件が起きます。事件の原因や背景には諸説ありますが、もし秀吉死後も秀次が健在だったら、秀頼の後見人や補佐など、豊臣政権で重要な役割を担った可能性もあります。

いずれにしても、秀頼の誕生、秀次の死去といった事態に伴い、秀吉の後継者対策も大きく揺れ動くことになります。

晩年、自分の死期が近いことを悟った秀吉は、後に残される秀頼を案じて急ぎ手を打ちます。五大老(家康が筆頭)および五奉行による合議制を定め、五大老には「秀頼を盛り立て、決して豊臣家を裏切らない」との誓紙も書かせました。

そして慶長3年(1598年)、秀吉は62歳で没しますが、秀頼はこの時まだ5歳。秀吉は死の病床で、家康の手を握り、涙を流しながら「秀頼のこと、くれぐれも頼みますぞ…」と繰り返し頼んだと言われています。

しかし、唯一家康に対抗できる人物とされていた前田利家がほどなくこの世を去ると、家康の専横は止まらず、豊臣家の力は次第に削がれていきます。やがて徳川家との力関係は完全に逆転。豊臣家は天下を失い、滅亡してしまうのです。

この秀吉の例から、脆く実効性のない体制や約束ごとでは事業承継はうまく進まないという教訓を学ぶ必要がありそうです。
絶大な力をもった人物でも、自分が亡くなった後のことまではコントロールできません。だからこそ、早めに方針を決めて、できる限りの準備を整える必要があると言えるでしょう。

家康編 ― 先の先まで読み尽くした、驚くべき後継者対策!

最後に、徳川家康の例をみていきます。

家康の特筆すべき点は、自分の経験だけでなく、他人の経験からも学び、確実に活かす姿勢をもっていたことです。それは後継者対策でも表れていました。

関ヶ原の戦いの後、家康は三男・秀忠を後継者として扱うと周囲に宣言し、慶長10年(1605年)に将軍職を秀忠に譲ります。

実は、秀忠は関ヶ原の決戦に遅参するという大失態を犯しており、家臣の中には武勇に優れた次男(秀康)、四男(忠吉)を後継ぎに推す声もありました。やはり武勇に優れた人間こそ尊敬される時代。そんな中で、目立った武功がない秀忠を武士のトップ・征夷大将軍に据えるのですから、疑問視する声もあったかもしれません。それでも家康は断行するのです。

全ての資質を兼ね備えた後継者候補はなかなかいません。何を重視するのか、自分なりの基準をしっかり持って決断する必要があります。

秀忠を二代将軍にした後、家康は駿府城に移り、大御所として睨みをきかせつつ、秀忠に経験を積ませていきました。

自分が健在のうちに権限を委譲したという点は信長と同じですが、さらに注目すべきなのは三代目の後継ぎまで確定させたこと。
当時、秀忠には家光、忠長という2人の息子(家康にとっては孫)がいましたが、春日の局からの訴えを受け、家光を後継者として扱うように厳しく家中を戒めた話は有名です。

さらに注目すべき点があります。秀忠、家光の血筋である将軍家の後継ぎが途切れた時には、御三家である尾張藩(藩祖は家康九男の義直)、紀伊藩(同十男の頼宣)から後継を出すという万全のバックアッププランまで用意したのです。後継問題でお家騒動が長引くほど、家の弱体化につながることを知っていたのでしょう。

このプランも大いに奏功して、実際に7代将軍家継の死去により徳川宗家の後継ぎがいなくなった時、紀州藩から後継ぎを迎え入れて8代将軍・吉宗が誕生することになるのです。

そんな家康は晩年に豊臣家を滅ぼし、徳川家にとって最大の憂いも断ちました。まさに、考えられる限りのことをやり遂げ、後継者へバトンをつないだとも言えるでしょう。

まとめ ― 戦国三英傑の後継者対策をぜひ会社経営の参考に

信長は早い段階で適切に後継者を育てていきましたが、本能寺の変というたった一度の想定外の事態により、後継者と織田家による天下を失うことになってしまいました。

秀吉の場合、なかなか子宝に恵まれないという不運を考慮しても、生前に打った後継者対策が万全だったとは言いがたく、やはり豊臣家は天下人の座を奪われてしまいます。

その点、家康は上記2人の失敗を活かして、「早い段階での後継者決定」「後継者への権限移譲と教育」「事業上のリスクへの対策」に努めました。その結果として、見事長きにわたる徳川の世を実現するのです。


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このように歴史上の人物がどのような後継者対策を行い、事業承継を図ったかは大変興味深いテーマではないでしょうか。
今回紹介した3人の例だけでなく、他の歴史上の人物や出来事に経営のヒントを探すこともぜひ考えてみてください。


監修:
アクサ生命 デジタル&カスタマーエクスペリエンス部 デジタルマーケティング課
オンライン・プレゼンス・マネージャー 保栖 文博
(中小企業診断士、AFP、2級FP技能士)

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